大阪地方裁判所 昭和38年(ワ)1282号 判決 1975年3月11日
原告 郭宝金
右訴訟代理人弁護士 佐々木哲蔵
同 佐木静子
同 児玉憲夫
右訴訟復代理人弁護士 内藤徹
同 金尾典良
同 石丸悌司
被告 蔡美黛
右訴訟代理人弁護士 伏見礼次郎
被告 株式会社佐々木工務店
右代表者代表取締役 佐々木芳郎
右訴訟代理人弁護士 岩清
主文
被告株式会社佐々木工務店は原告に対し金三、八八二、三五〇円およびこれに対する昭和三八年四月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告の、被告株式会社佐々木工務店に対するその余の請求および被告蔡美黛に対する請求はいずれも棄却する。
訴訟費用のうち、原告と被告株式会社佐々木工務店の間で生じた分はこれを一〇分し、その一を原告の、その余を同被告の、また、原告と被告蔡美黛の間で生じた分は原告の各負担とする。この判決は第一項にかぎり仮りに執行することができる。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一、原告
被告両名は各自原告に対し金五、一五一、五五〇円およびこれに対する昭和三八年四月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告両名の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告蔡美黛(以下「被告蔡」という。)
1、本案前の申立
「原告の請求を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
2、本案について
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
三、被告株式会社佐々木工務店(以下「被告会社」という。)
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
第二、請求の原因
一、原告は、昭和二五年九月一八日頃以来、原告所有の別紙第一目録記載の土地(以下「本件土地」という。)の上に同第二目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、同建物を利用して「元いづもや」なる商号で飲食店を経営していたものである。
二、被告蔡は本件土地の東側隣接地である大阪市南区西櫓町三三番地、同所三三番の一、同所三四番地、同所三四番地の一の四筆の土地を所有し、同地上の店舗(以下「(旧)店舗」という。)を利用して「いづもや」なる商号で飲食店を経営していたところ、昭和三七年五月頃、被告会社に、右店舗を取毀ち、地下を掘さくし、右四筆の土地上に地下一階地上七階の鉄筋コンクリート建店舗を建設することを請負わせ、被告会社は直ちに右請負工事を開始して、右新店舗は昭和三八年三月頃完成した。
三、被告会社は、前項の店舗建設の基礎工事として、同三七年九月下旬頃までに地下約四メートルを掘さくしたが、右掘さくは本件土地の東側境界線(本件建物東側の柱外側線より一四センチメートル東側を南北に走る線)を侵害し、右建物東側礎石と密着して行われ、すなわち、地下二メートルまでは右建物の東側レンガ壁(厚さ二〇センチメートル)にそって掘さくしたうえ、鉄製矢板(幅一尺余り)をモーター付テコで打込み、湧出する水をポンプで汲みあげつつ更に約二メートル掘さくしたものであり(なお、打込まれた右矢板間には、ところどころ隙間があった)、次いで、右掘さくした底部より約二メートル位の高さまでコンクリートを塗り固めて基盤を造り、そのうえに鉄骨を組立て板枠を造ってコンクリートを打込んだが、その際本件建物東側窓に板一枚(厚さ約一センチメートル)とブリキ板一枚を取付け、右建物に密着してコンクリートの流し込みが行われた。以上の如き基礎工事が施行されたのである。
四、ところで、右工事現場付近は、裏側がすぐ道頓堀川に接している関係で、多量に水分を含む軟弱な地盤であったため、前記掘さく工事のため地層の収縮、地盤の低下をきたし、かつ、粗雑な前記コンクリート打込工事のため本件建物が圧力を受けて、右建物が東側に傾斜し、その天井、床が彎曲し、壁天井等に亀裂を生じ、その儘放置するときは倒壊するおそれがあり、その使用は極めて危険な状況となった。
五、被告会社は、前記工事に際しては、現場付近の状況(地層等)および近隣家屋に密着してコンクリートを流し込む方法を知りえたはずであるから、危険のため、相当の措置および施設の設置等の手段方法を行って付近の建物や地盤に損傷を惹起させ、延いては近隣の営業および居住の安全を侵害することのないよう業務上の注意義務があったのに、これを怠り、漫然、その従業員をして前記不完全な工事を進行させて、原告所有の本件建物に損害を加えたものであるから、民法七一五条により、右工事により原告の被った損害を賠償しなければならない。
六、被告蔡は、木造建築が付近に存在する前記工事現場付近において、前記地下約四メートルの掘さく工事を行なうときは、その近接地およびその地上建物に重大な影響を及ぼし、同建物に相当の損傷を与えることは、通常人の社会通念にてらし容易に察知できたのであり、したがって、その注文者としては、請負人に対し右の諸点に十分な注意を喚起し、かつ、右請負人の施工方法が安全妥当なものであるか否かにつき当該請負人その他の建築専門家から十分な説明を受けてその安全性等を確かめたうえ、その注文を行うべき注意義務があったのに、これを怠り、漫然被告会社に右工事を注文し施行させたため、本件建物に前記の損傷を生じさせたのであるから、被告蔡は、右工事の注文および指図に過失があるというべく、それゆえ、民法七一六条但書により、本件工事のため原告の被った損害を賠償する責任がある。
七、原告は、本件工事による本件建物の損傷のため左記の損害を被った。
(一)、補修工事費
原告は、右工事により損傷を受けた本件建物の復旧のため左記の費用を要した。なお、右建物の受けた損害の原因が地盤沈下という重大事項に基づいていたため、通常の補修工事ではその完全なる復旧は期しがたく、やむをえず相当大がかりな補修工事を行わざるをえなかったものであり、それにより要した左記費用は右工事と相当因果関係に立つ損害といわなければならない。
(1)、主体工事費
イ、解体工事費 三六七、〇〇〇円
ロ、軸組建起し工事費 二七二、五〇〇円
ハ、仮設工事費 一一〇、五〇〇円
ニ、基礎および地下室補修工事費 五五七、二五〇円
ホ、ガスおよび給水工事費 四五、〇〇〇円
ヘ、トタン屋根葺工事費 八六、四〇〇円
(2)、付帯工事費
イ、左官工事費 二四四、〇〇〇円
ロ、木工事費 六四七、二〇〇円
ハ、電気工事費 一一八、八〇〇円
ニ、タイル工事費 五八、八〇〇円
ホ、塗装工事費 二六、六〇〇円
ヘ、雑費 一三五、〇〇〇円
(二)、休業補償費
右(一)の補修工事を施行するため六〇日間を要したが、その間原告は、三〇日間全面的に営業を休業し、残り三〇日間地上二、三階の営業を休業したが、当時原告は、右店舗で一日につき金五〇、〇〇〇円の純益をあげ、また右地上二、三階の営業休止により右純益は半減したから、原告は右補修工事による営業休止により金二、二五〇、〇〇〇円の損害を被った。
(三)、従業員に対する給料の補償金
原告は、前記一か月間の全面営業休止期間中の給料として、従業員一三名に対し、合計金二三二、五〇〇円を支払い、同額の損害を被った。
八、よって、被告ら両名は、各自原告に対し右七、(一)ないし(三)の損害金合計金五、一五一、五五〇円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日(昭和三八年四月二八日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
第三、被告会社の答弁
一、認否
(一)、請求原因第一項記載の事実のうち、本件建物が存在すること、および右建物において「元いづもや」なる商号の飲食店を存したことは認めるが、その余の事実は不知。
(二)、同第二項記載の事実のうち、被告会社が被告蔡の注文により原告主張の如き請負工事に従事したことは認める。
(三)、請求原因第三項ないし第六項記載の事実はすべて争う。
二、被告会社の主張
(一)、本件請負工事の施行について
1、地下掘さく工事について、
被告蔡の有した(旧)店舗には、道頓堀筋に面した南側の一部を除きすでに地下室があったから、被告会社は、本件請負工事に際しては、右地下室のなかった南側の一部のみ地下約四メートルを掘さくしたがすでに地下室のあった大部分は地下約二メートルを掘さくしたに留った。
2、土留工事について、
被告会社は右の掘さく工事を施行するため、本件土地および右工事現場東側の松川ビル、三亀の各敷地境界線より〇、五ないし一、〇メートル右工事現場内に後退した個所にH型鋼(長さ約六メートル)を九〇センチメートル間隔で打込み、かつ、右H型鋼間に隙間のないように松板(厚さ約三センチメートル)を土留板として挿入し、なおかつ、右H型鋼が地圧に十分耐えうるよう敷地内に松材(三〇センチメートル角)の梁をめぐらせて右H型鋼を支え、もって、十分なる土留工事を行った。その結果、本件建物より何十倍も重い松川ビルは地盤沈下や傾斜等の損傷はなかったのである。
したがって、右松川ビルよりはるかに軽量の本件建物に原告主張の損傷があったとすれば、それは他に原因があったというほかはない。
3、本件建物の傾斜防止について
被告会社は、本件の基礎工事施行前に本件建物の東面および前記松川ビル(地下一階、地上四階の鉄筋コンクリート造)の西面の各地上約八メートルの個所に松材(一五センチメートル角)の桁を取付けたうえ、右両桁を支えるように、右両桁間に松材(一五センチメートル角)の梁六本を連結して固定し、もって、本件建物を右梁を介して右堅固な建物たる松川ビルに支えられるようにし、右建物につき完全なる傾斜防止工事を施した。
4、以上のとおり、被告会社は、本件請負工事に際しては、前記土留工事および傾斜防止工事を施行して安定した状況下に右建築工事(原告主張の基礎工事)を行ったものであり、すなわち、右工事の施行につき、本件建物等に損害の発生することを防止する最善の方法を尽していたものというべく、そこには、なんらの故意過失はなかった。
5、なお、また、原告は、被告会社のした、本件建物に密着したコンクリート流し込み工事が右建物を傾斜させた一因をなしていると主張しているが、被告会社は右コンクリート流し込み工事についてはパネルを使用し、かつ、右パネルが外部(右建物側)に開かないよう内部から鉄線により緊縛していたから、右流し込み工事が右建物を圧迫することはなかった。また、かりに、そうでないとしても、右コンクリートの流し込みにより右建物が圧迫されて東側に(本件工事現場内部へ)傾斜することは到底生じえないものであるから、いずれにしても原告の右主張もまた理由がないものである。
(二)、原告の損害について
1、原告が、本件補修工事に要した期日は昭和三八年五月一五日から同年六月一二日までの二九日間にすぎない。
2、また、本件請負工事の施行によって、本件建物に損傷が生じたとしても、その損傷の補修に必要な限度において、それに要した費用が右工事施行に伴う損害であるというべく、これをこえた工事費は右の損害には該当するものではない。しかるに、原告は本件において、右補修工事費中に右建物の建替、改造工事費を含ませて、その損害賠償を請求しているものであり、明らかに不当である。
第四、被告蔡の本案前の答弁
一、被告会社が本件請負工事に着手した当時、原告主張の飲食店「元いづもや」の経営者は訴外近畿実業株式会社であり、同社の代表取締役は訴外蔡炳雄であった。そして、右蔡炳雄が被告会社と本件工事請負契約を締結したものである。
二、したがって、被告蔡は本件訴の当事者適格を有しないから、原告の同被告に対する訴は却下さるべきである。
第五、被告蔡の本案の答弁
一、認否
(一)、請求原因第一項記載の事実のうち、原告が本件土地上において飲食店を経営していることは認める。
(二)、同第二項記載の事実のうち、被告蔡が同項記載の土地を所有していたことは認め、その余は否認する。
(三)、同第三項ないし第六項記載の事実は否認する。
二、被告蔡の主張
(一)、本件請負工事は、被告会社がその責任の下に周到なる注意を払って施行したものであり、被告会社にはなんらの過失もない。
(二)、本件工事現場付近は、道頓堀川に面し、他の場所に比較してその地盤が軟弱で弛緩していたものであり、本件建物の損傷もまたその敷地の地盤の軟弱、弛緩に基因することは明らかである。
(三)、したがって、原告の本訴請求は失当である。
第六、証拠≪省略≫
理由
一、≪証拠省略≫を総合すると、原告が昭和二五年九月一八日頃以来原告所有の本件土地上に本件建物を所有し、かつ、右建物を利用して「元いづもや」なる商号で飲食店を経営していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
また、被告蔡が本件土地の東側に隣接する大阪市南区西櫓町三三番地、同所三三番地の一、同所三四番地、同所三四番地の一の計四筆の土地(以下「本件被告蔡所有地」という。)を所有していたことは、原告と被告蔡の間においては当事者間に争いがなく、また、原告と被告会社間においては、≪証拠省略≫により認めることができ、これに反する証拠はない。
さらに、被告蔡が昭和三七年五月頃被告会社と本件被告蔡所有地上に、(旧)店舗を取毀して地下を掘さくし、地下一階地上七階の鉄筋コンクリート造の店舗一棟を建設する旨の工事請負契約を締結したことは、原告と被告会社間においては当事者間に争いがなく、また、原告と被告蔡間においては≪証拠省略≫により認めることができ、これに反する≪証拠省略≫は前顕各証拠に対比してにわかに措信できず、また、≪証拠省略≫によれば、訴外近畿実業株式会社(代表取締役蔡炳雄)が右鉄筋コンクリート造建物の完成後、大阪市長から飲食店営業の許可を受け、右建物で飲食店を経営していたことが認められるが、当該土地、建物の所有者と右建物において実際に営業を行う経営者とは応々にして一致しないこと一般社会通念にてらして明らかであるから、右訴外会社が前記鉄筋コンクリート造建物を利用して飲食店を経営していたからといって、直ちに、被告蔡が前記請負契約の当事者であったことを否定する証拠とはならず、他に前記認定に反する証拠はない。
すると、被告蔡は被告会社と前記請負契約を締結したものというべく、したがって、これに反する事実関係を前提とする被告蔡の本案前の抗弁は理由がない。
二、そこで、まず、被告会社の損害賠償責任の有無につき検討する。
1、≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。
(一)、本件建物は、その敷地である本件土地上にほぼ一杯に建てられ、本件請負工事の施行前に本件被告蔡所有地上に建っていた(旧)店舗とは隣接する壁面を共通にしており、かつまた、本件建物自体は右工事前ほぼ水平の状態に保たれていた。
(二)、被告両名間に締結せられた前記請負契約に基づく請負工事は被告会社の従業員で現場主任の地位にあった訴外寺井隆(当時、経験年数約一〇年の建築技術者)がその最高責任者となり、被告の従業員によって施行された。
(三)、ところで、右請負契約に基づく鉄筋コンクリート造建物の建設に先立ち、本件被告蔡所有地上に存した(旧)店舗を取毀ち除去する必要があったが、前記のとおり右店舗と本件建物が相接して建てられてあるため、右取毀作業を行えば本件建物も東側へ、すなわち右店舗のある方向へ傾斜し、延いては倒壊するおそれがあったので、被告会社従業員は、まず本件建物の東面と、本件被告蔡所有地の東に隣接する土地上に存する松川ビル(地下一階地上四階の鉄筋コンクリート造建物)の西面のそれぞれ地上約八メートルの個所に南北に松材(一辺約一五センチメートル角)の桁を取付け、かつ右両桁間に松材(一辺一五センチメートル角)の空中梁六本を連結して固定し、もって、本件建物全体を前記松川ビルに与えられるよう傾斜予防措置を講じたうえ、前記店舗取毀作業に着手し、これを完了した。
(四)、次いで、被告会社従業員は基礎工事に着手したが、まず最初に、本件被告蔡所有地の隣接地境界線から内側約八〇センチメートルの個所にH型鋼(長さ約八メートル)をその周囲全体に打込み、その内部を約二メートル掘さくしたところで、右H型鋼が内側に傾斜しないよう路面の高さ辺りに一辺約三〇センチメートルの角材を用いて碁盤の目のように梁をめぐらして右H型鋼を与え、そのうえで、さらに約二メートル(合計約四メートル)掘さくしたうえ、地下約二メートルに達する高さまでコンクリートを流し込んで基礎を造った。なお、右H型鋼相互間には多少の隙間があり、その個所から土砂の流出するのを防止するため、右H型鋼にそって、その外側に密着して松材の板をはめ込んだ。
(五)、かようにして基礎工事を終了し本件被告蔡所有地に地上四階地下一階の鉄筋コンクリート造建物を建設されたが、本件工事現場が道頓堀川に接していたため満潮時等に川水が流入し、あるいは本件土地を含む周辺の隣接地の地盤から常時多少の湧水があった。そこで、被告会社従業員は常時四吋ポンプ一基を連続作動させて右流水、湧水の汲出を行った。
(六)、また、前記基礎工事に着手した際、前記現場主任寺井隆は右工事現場付近の地盤が砂質土で形成されていることを知っていた。
(七)、ところで本件土地を含む右工事現場付近の地盤は地下約七メートル以上も砂質土で形成されその粘着力が極めて少なく、空間の発生によって容易に砂土が移転するという地質であったが、前記基礎工事の際の掘さくおよび松板のはめ込みの際、必要以上の土砂が掘り削られたため右砂土の流出を容易にし隣地の地盤が若干移動したうえに、隣地にパイプを作って水を戻さないまま、前記ポンプ流水湧水の抜取を行ったため、土砂がしまり一段と地盤の不等沈下をもたらす結果となった。一方、本件建物は、いわゆるラーメン構造、一体構造ではなく、各節点で全体の均衡をかろうじて保持しているに過ぎない木造構築物であったから、前記の如き若干の不等沈下によっても全体の均衡を失い、東の方ほど地盤沈下が甚しく、その各階床面は西端と東端とで約五センチメートルの段差が生じ、右建物全体が床面の歩行にも困難なくらい東側へ傾斜し、その結果各階の壁面に亀裂ができ、戸障子および襖などに完全に開閉できないものが多数生じたのみならず、水道管が沈没して各所でねじ切れ、あるいは接ぎ目が外れて水が吹き出し、さらにガス管を損傷してガス洩れをおこすなどの事故が生じてしまった。
以上の事実を認めることができる。
≪証拠判断省略≫
2、右認定事実によれば、本件建物に対し前記の如き建物の傾斜、戸障子の開閉不完全、壁面の亀裂等の損傷が被告会社従業員の施行した前記請負工事に起因して発生したことは明らかである。しかも、右事実によれば、被告会社従業員寺井隆は右工事現場付近の地盤が砂質土で形成され流出移動のし易いことおよび右工事現場に一体構造等でない通常の木造建築物たる本件建物が存することを右工事着手前十分知悉しており、したがって、前記の如き単純かつ粗雑なH型鋼等を利用した土留工法によれば本件土地の土砂が移動し、前記認定の程度、内容の損傷が本件建物に発生することは建築業関係者としては容易に予見しうるところであり、それゆえ、右土留工法の実施に当っては本件土地内の土砂の移動を生じさせないよう予め綿密なる補強策を立て、かつその具体的実施に当っても右土砂の崩落等の生じないよう細心の注意をもって施行するなど適切な対策を講じるべきであるのに、これをしなかったため、本件建物に前記の如き損傷が発生したのであるから、右損傷は被告会社従業員の過失によって生じたものというべきである。
したがって、被告会社は民法七一五条に基づき、被告会社従業員の行為によって発生した原告の右損害を賠償する責任がある。
三、次に、被告蔡の損害賠償責任の有無につき判断する。
1、すでに認定説示したところから明らかな如く、被告会社は、本件請負工事施行のため、まず、本件建物を空中梁六本で支持してその傾斜、倒壊しないよう防止策を講じたうえ、前記土留工法を施行して基礎工事を完成したが、本件工事現場付近の地盤が砂質土で形成され軟弱であったため、右の如き工法では本件土地の地盤の不等沈下を完全には抑止しえず、その結果、本件建物に前記損傷が発生した。
一方、被告会社の右請負工事の施行に対し、注文主たる被告蔡の側で、右工事の順序方法などについて格別の注文あるいは具体的指示等を行ったと認むべき証拠はなく、むしろ、≪証拠省略≫によれば、被告蔡は、本件請負工事については、その着工から竣工にいたるまでのすべてを専門的知識経験を有する従業員等を擁する被告会社に一任し、かつ、被告会社の施行する順序方法によって適切に右工事が進行し、竣工の運びとなるものと信じていたものと推認するに難くはない。
2、そうすると、被告蔡は建築関係に特別の知識経験を有しない、工事の単なる注文者にすぎず、他方、被告会社は、被告蔡に独立して自らが計画、立案した順序、方法にしたがい、右工事を施行したのであるから、本件工事現場付近の地盤が外形上一見して軟弱であると判断できる場合は格別、そうではない本件においては、被告蔡は、その工事の施行を専門の知識経験を有する建設業者(被告会社)に一任しているかぎり、本件工事現場に隣接して木造家屋が存するという一事から、あえて、右工事の注文に際し、とくに、自らその地盤の硬軟などまで判断したうえ、その工法を決定して右工事を注文し、あるいは、右建設業者に特別の指示を与えてまで、隣接家屋に対する損害の発生を未然に防止しなければならない注意義務はないといわなければならない。なおまた、前記のとおり、被告蔡は被告会社に対し、本件工事の注文に際し、被告会社に対し特別の注文あるいは具体的な指示を与えたわけでないから、本件建物に対する損害の発生が注文者たる被告蔡のなした特別の注文あるいは具体的指示に基づくものでないこというまでもない。
3、したがって、被告蔡は、本件請負工事の注文あるいは指図について、なんらの過失もなかったものというべきであるから、原告の同被告に対する本件損害賠償請求はその余の点について判断するまでもなく失当である。
四、そこで、進んで、被告会社が賠償すべき原告の損害額について検討する。
1、≪証拠省略≫を総合すると、原告は、昭和三八年五月一五日訴外高比良金三郎に対し、前記請負工事によって被った本件建物の損傷を補修する工事を請負わせ、右訴外人は直ちに右補修工事に取り掛り、(イ)まず、内外部の仮設、外部保護塀の設置などの仮設工事を行ったうえ、(ロ)屋根、床面、壁面の解体工事および(ハ)軸組建起し工事を行い、さらに、(ニ)基礎工事および地下室補修工事を施行し、その後、(ホ)モルタルの塗替、塗落等の左官工事、(ヘ)構造、造作に関する木工事、(ト)タイル類の付直しを行うタイル工事、(チ)鉄部木部のオイルペイント塗着、ラッカー塗等の塗装工事、および(リ)ガス、水道計器の移動設置新設工事を逐次実行し、最後に(ヌ)仮設物等の整理運搬、および清掃、跡片付等の雑工事を完了し、右補修工事は同年六月一二日完工したが、原告は右補修工事に要した請負代金二、一九九、八五〇円(詳細は左記のとおり)をその頃右訴外人に完済したこと、以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫
記
(イ) 仮設工事費 一一〇、五〇〇円
(ロ) 解体工事費 三六七、〇〇〇円
(ハ) 軸組建起工事費 二七二、五〇〇円
(ニ) 基礎工事、地下室補修工事費 五五七、二五〇円
(ホ) 左官工事費 八〇、〇〇〇円
(ヘ) 木工事費 六四七、二〇〇円
(ト) タイル工事費 五八、八〇〇円
(チ) 塗装工事費 二六、六〇〇円
(リ) ガス水道工事費 四五、〇〇〇円
(ヌ) 雑工事費 三五、〇〇〇円
(以上合計二、一九九、八五〇円)
なお原告は、本件建物の補修工事として(ル)トタン屋根妻工事(代金八六四〇〇円)、(ヲ)電気工事(代金一一八、八〇〇円)を施行し、かつ(ワ)雑費一三五、〇〇〇円を支払ったと主張し、右(ル)(ヲ)の工事自体の施行されたことは前顕各証拠により容易に認められるが、右(ル)の工事が前記補修工事としては施行する必要がなかったことは、≪証拠省略≫によって明白であり(これを覆えすに足る証拠はない)、また、右(ヲ)の工事が右補修工事して行う必要があったものか否かについては全証拠によってもこれを首肯することができないし、また、右(ワ)については右補修工事との関連性、支出費目の具体的内容が明確でない(原告の提出した証拠を参酌するもなお明確といえない。)から、結局原告の右主張は認めるに由ないものというべきである。
そして、前記認定事実によれば、原告は被告会社従業員の不法な前記請負工事によって右補修工事費金二、一九九、八五〇円の支出を余儀なくされ、同額の損害を被ったものというべきである。
2、次に前記認定事実によれば、本件建物に対する前記補修工事は昭和三八年五月一五日着手され、同年六月一二日完成したから、その間、すなわち二九日間は、原告の本件建物における飲食店営業は完全に休業状態であったものと推認するに難くはない。原告は、右補修工事を施行するため一か月間右営業を全面休業し、さらに、一か月間地上二、三階の営業を休止したと主張しているが、これにそう原告本人尋問の結果はあいまいでありにわかに措信することができず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はないから、原告の右主張は採用できない。
そして、≪証拠省略≫によれば、原告は前記補修工事の施行された昭和三八年頃には本件建物における飲食店営業により一か月四五〇万円位(一日平均約金一五〇、〇〇〇円)の売上をし、一日平均金五〇、〇〇〇円の収益をあげていたことが認められ、これに反する証拠はない。
右事実によれば、原告は、当時、右建物における飲食店営業により、一日平均金五〇、〇〇〇円の収益をあげていた原告が前記二九日間営業したことにより合計金一、四五〇、〇〇〇円の収益を逸したことになり(これは計数上明白)、結局、原告は被告会社従業員の前記不法な請負工事の施行によって、右金一、四五〇、〇〇〇円相当の営業上の収益を逸失し、同額の損害を被ったというべきである。
3、最後に、≪証拠省略≫によれば、原告は、前記補修工事着手前、本件建物における飲食店営業を実施するため合計一三名の従業員を雇用していたこと、ところで、本件建物につき前記補修工事施行のため、前記飲食店営業を約一か月間休業せざるを得ず、かつ、その間前記従業員一三名も休業させざるを得なかったので、その間の休業補償として右従業員一三名に対してそれぞれ一か月分の給料相当額合計金二三二、五〇〇円を支払ったことが認められ、これに反する証拠はない。
右事実によれば、原告は、被告会社従業員の前記不法な請負工事の施行の結果、原告の右従業員一三名に対して一か月分の休業補償金二三二、五〇〇円の支払を余儀なくされ、同額の損害を被ったというべきである。
4、そうすると、原告は、被告会社従業員の前記不法な請負工事の施行によって、(イ)、補修工事費金二、一九九、八五〇円、(ロ)、営業上収益の逸失による損害金一、四五〇、〇〇〇円、(ハ)、従業員に対する休業補償費金二三二、五〇〇円、以上合計金三、八八二、三五〇円の損害を被ったものであり、したがって、被告会社は右従業員の使用者として民法七一五条により右金三、八八二、三五〇円の損害を賠償する義務がある。
五、よって、原告の本訴請求は、被告会社に対して右損害賠償金三、八八二、三五〇円および本件訴状が被告会社に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三八年四月二八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるから、これを認容し、被告会社に対するその余の請求および被告蔡に対する請求は失当であるので、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 砂山一郎)
<以下省略>